徒然なるままに

日常のあれこれなど

市川崑監督の『細雪』(1983年)

東宝創立50周年記念映画として封切られた、谷崎潤一郎原作の『細雪』。
細雪』自体、既に二度映画化されてるらしい。私は1983年の市川崑監督の『細雪』以外はまだ観たことがないのだけれど、もうこの市川崑監督の『細雪』で十分お腹いっぱいと思えるほど満足だったりする。

『昭和十三年のことである』
そこからこの物語が始まるんだけど、俳優さん、女優さんが安定の方々。
市川崑監督×石坂浩二金田一シリーズが大好きな私にとっては本当に安心して観ていられる俳優さん、女優さんが冒頭から一気に顔を合わせるのだから、既にこの時点で嬉しくなっている。
そして京都の桜とともに『オンブラ・マイ・フ』(Ombra mai fu)が流れて、市川崑監督のあの色彩の映像に一気に引き寄せられる。その音楽と映像がたまらない。

映画では、日本が第二次世界大戦へと突入していく時代の、きな臭い空気が徐々に顕になっていくのを端々に感じるのだけど、そんな中、船場の老舗の四人姉妹の会話は今でいうところのセレブの会話なのかも知れない。

このひとは、桜は京都、魚は鯛、それも明石の鯛でないといかんのやからな……

石坂浩二さんが演じる婿養子の貞之助が、これまたはんなりと柔らかいトーンで紡ぐのだけど、ほんまにガツガツした雰囲気がない。

船場の老舗の長女・本家の鶴子に岸惠子さん、その夫で婿養子の辰雄に伊丹十三さん。「阪急沿線 芦屋」に居を構える分家の立場にある次女・幸子に佐久間良子さん、その夫で婿養子の貞之助が石坂浩二さん。映画ではその芦屋の分家に、貞之助からすれば義理の妹にあたる三女・雪子に吉永小百合さん、四女・妙子に古手川祐子さん。
「ごりょうんさん(御寮人さん)」や「なかあんちゃん」、「きやんちゃん」、「こいさん(小娘さん)」と呼ぶその響きも古き良き船場言葉で、「おひさどん」とか、懐かしいことこの上ない。
(……とは言え、この船場言葉全盛時代をリアルに生きてきたわけではなくて、子供の頃のドラマでよく聞いたという意味の懐かしい……なんだよね)

お屋敷の部屋の設えに女優さんが着ている着物。
薄暗い部屋に差し込む日の光に鮮やかな黄緑色の着物が、映像のエッジを際立たせているし、ひらりと舞う袖と裾、障子に映る夕焼けの赤い色、春の桜の美しさに秋の紅葉という上流階級の人間の生活の中に表れる色と、それとは対称的な工場街の淀んだ灰色、そして戦争へと進む日本の行く末を感じさせるように雪が降るどんよりとした空。そのどれもが雄弁にストーリーを語っているように思えてくる。

そして、戦後生まれの私はいつも観る度に思うのね。
この映画での四姉妹は、その後、第二次世界大戦に突き進んでいった日本をどう生きていったのだろう? と。
春は京都のお花見、秋は紅葉狩り、はたまた歌舞伎を見る、そんな生活が日常のこの四姉妹は、やがて三女が嫁ぐことになり、四女はバーテンダーと同棲、長女は夫の転勤で長らく住んでいた大阪の上本町の家から東京行きとなり、もうかつてのように姉妹四人で花見にも行けなくなる。日常が大きく変わっていき、やがて戦争となり空襲に見舞われ、もうかつての日常は戻ってはこない。
それを思うと、今、目の前の映像の中のこの日々は、四姉妹にとっては惜しむほどの懐かしい日々なのかも知れない。

それともう一つの物語。
最初、この映画は四姉妹のストーリーかと思っていたけど、実は石坂浩二さん演じる次女の夫・貞之助の話でもあったわけで。
映画の終盤、義理の妹である三女の雪子が嫁ぐことが決まった時に、その想いが映像にしっかり表現されるんだけど、実は映画の冒頭のワンシーンで、物語の端々で既にその想いは伏線のように表現されていて、最後に全てが繋ぎ合わさるから、心を鷲掴みにされるのね。
長女の東京行きを見送った後、雪の酒亭で貞之助がひとり酒を飲むところからラストの春の花見の回想シーンへと続く全てにグっとくる。石坂浩二さんのあの表情にヤられましたよ。

逝く春を惜しむかのように、花びらが散る。

細雪』DVD同梱の解説ブックレットより

まさにその通りだと思った。
ひとり手酌酒を呑む貞之助は、咽ぶように肩を震わせて潤んだ瞳で窓の外を見遣り、まるで花びらが舞い散るように降る雪に、過ぎ去っていく、もう戻ることはない今までの他愛のない日常を惜しみ、そして密かに想っていた義理の妹・雪子が嫁ぐということに喪失感を感じて、花見のあの日を、まるで逝く春を惜しむかのように偲ぶ。
そんな石坂浩二さんに、最後の最後、心を全て持ってかれた。

その結果、DVDをゲットし何度も何度もリピート鑑賞する作品となったこの『細雪』。
いつも最後に「完」の文字が出た瞬間、万感の思いがこみあげ、心の中で大きく叫んでしまう。

市川崑監督、サイコー! と。(笑)