徒然なるままに

日常のあれこれなど

新年に思う

新年のスタート、出遅れちゃった感じがする。(;^_^A アセアセ
……っていうか昨年末のご挨拶もしてないやん。(ノ_-;)ハア… いや、本来の予定では、年末にご挨拶をして、元日の朝にあらためてこれから一年の抱負なんてものを書き記そうかと思っていたんだけど、気が付いたら今日、もう仕事始めの日になっていた。

この年末年始は、ひたすら家の片づけをしていたんだけど、ちょっと張り切り過ぎたのか、大晦日の日、夜20時からのNHK教育TVの恒例のN響の第九を見て、年越しそばを食べてからの記憶がない。ベッドで一息つこうと、ゴロンと横になって、気が付いたら元日だった。しかも相当寝坊したようで、もうすぐお昼じゃん? って時間まで、全く目覚めることなく寝入っていたのだから、何とも情けない。。*✧ヾ(。>ㇸ<。)ノ゙✧*。

目が覚めて、あわてて元日のお雑煮だけは食べて、すぐに家の彼方此方が片づけ途中という惨状を打開すべく、また断捨離作業に身を投じて数時間後に、いきなりの地震

私は今、こうしてブログが書けて、仕事にも行ける環境だけど、まさに同じ今、極寒の避難所で相次ぐ余震に苛まれながら、眠れぬ夜を過ごしている方々のことを考えると、「あけましておめでとうございます」とは、とてもじゃないが言えないし、29年前のことを思い出したせいもあって、酷く今、落ち着かない。

今年の元日の地震は、私のいる地域では、震源地と比べるととても小さいもので、生活に影響をきたすような被害もなく、ありがたくも日常を過ごせている。けれど、29年前のあの記憶が、元日のあの揺れで瞬時に蘇ってきて以降、正直、数日たった今でも地面が響く音に敏感になり、時折、身体が強張ったりするのだから、どれだけ時が経とうが忘れることが出来ないものもあるんだなと思った。何せ、家の外の道路を通る大型トラックの、あの低く唸るようなエンジン音にすら、ドキリと心臓が跳ね上がったり、一瞬身構えたりしてしまったり。ここ数日間は特に反応してしまう。

日本に住んでいる限り、地震からは逃れられないのは解っているけれど、震度7とかを経験してしまうと、その後は地震の度に、身体が目一杯、情報収集をしようとしているのをまざまざと感じて、それが凄く疲れるんだよね。どれだけ震度が小さかろうが、最初に揺れを感じた瞬間に身体の全神経が、この揺れが激震に変わるのか、それとも収まるのかを必死に見極めようとしていて、その見極めようとする間は、たとえ僅かな時間であっても心拍数が爆上がりしているし、幸いにも僅かな揺れで収まった場合は、頭では理解出来ていても、身体の強張りが解けるまでに暫く時間がかかり、その間は血の気が引いているのも解る。これがトラウマというものなのだろうけど、何かのきっかけで思い出してしまうと、地に足がついてないというか、足に力が入らないというか、とても落ち着かない、何とも表現しがたい感覚に陥る。

勿論、全ての人がそうなのか? と言えば、そうではないと思うし、寧ろこれは私だけかも知れない。それに落ち着かないのは、家の片づけが完全に終わってないせいもあるのだろうから。(;^_^A

そう、私は何だかんだ言いつつも、こうして支障なく日常生活が営めている。
けれど被災された方々は、今この瞬間も、不安な夜を過ごしているのだから、どうか、少しでも早い復旧を……と願うばかり。勿論、私で出来る支援があるならするよ!
29年前に支援して貰ったものを少しでも返せたらと思ってるし。モノだけじゃなく、温かい心も貰ったんだよね。

だから、こうした大災害が起こるたびに、自然の前では人間は小さな存在だと、思い知らされるけれど、その度に、それでも何とか前を向いて生きていく、その逞しさと直向きさを私達人間は持っているし、そんな仲間を助けようとする心をみんな持っているんだってことを忘れずにいたいなと思う。